「幸せなら手を叩こう」に込められた本当の意味
幸せなら手を叩こ🎶パンパン という曲をご存知だろうか。
童謡の中でもかなり有名な曲の「しあわせならてをたたこ」であるが、私はこの曲に問題点を感じた。
この曲に込められた真の意味に迫る。
この曲は非常に悪質性の高いものである。
まずこの曲の最初のフレーズ、「しあわせならてをたたこ🎶」から考えていく。
この一節で、まず幸せじゃない人間が手を叩けない状況が生まれる。
この童謡はもちろん1人で歌うこともあるが、幼稚園や大学、会社で歌うことの方が多い歌である(2016年時点 私調べ)。そんな中でこの歌が歌われた場合かつ自身が幸せでなかった場合、手を叩かないのが自分だけだったらどうしようという不安が生まれる。
幸せではない人間は仲間外れ、つまり自分は幸せでなければいけないという強迫観念が生まれているのだ。
さらに、この次の一節で強迫行為に拍車をかけるような決定的な一言が謳われている。
「しあわせなら たいどでしめそうよ」
この言葉に脅迫性が皆無だとは誰がどうみても言えないだろう。
↓イメージ図
「幸せならさ、態度で示そうよ〜(笑)態度で(笑)」
そしてこの短い童謡の1番の全ての締めくくりが以下である。
「ほらみんなで てをたたこ」
なんと、さっきまでは幸せな人のみ叩くはずだった手が、みんなで叩かなければいけなくなっている。
“皆“が幸せであるということを決めつけ、お前らは皆幸せなんだよと暗喩しているも同義である
全ての人間が幸せであるということの決めつけ、その上で全員に手を叩かせるというこの歌に隠されているのは非常に悪質性の高い同調圧力である。
↓イメージ図
「ほ〜ら(笑)みんなで手叩こうよ(笑)ほら早くしろって(笑)」
幸せとは何か、それを考えさせる隙も与えずに「我々が与えるものが幸せだ」と口巧みに騙し、幸せならば同じように動くように暗示をかけているのだ。
この危険な歌を歌わせる組織に所属している大学生や社会人は、今一度現状を見直して、早急にその組織から離脱することを強く推奨する。
なお1人で歌う分には気持ち良くなるだけで問題がないため、好きに歌えばいいと思う。
幸せな人間は何も考えずに手を叩けるので羨ましい。